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「マザー・アンゲラ」メルケル独首相の在任10年間の歩み! [政治]

【12月10日 AFP】プロテスタントの牧師の娘として生まれ、「鉄のカーテン(Iron Curtain)」の向こう側で育ったアンゲラ・ドロテア・カスナー(Angela Dorothea Kasner)が、統一後のドイツ首相に就任し世界最大の影響力を持つ女性と目されるようになるまでには、波乱万丈の道のりがあった――。

 アンゲラ・メルケル(Angela Merkel)首相(61)には今日、さまざまなニックネームが付けられている。ユーロ圏では「謹厳な尼僧」とやゆされてきたが、必死の思いで欧州を目指す難民からは「メルケルママ」と慕われ、英経済誌エコノミスト(Economist)からは「必要不可欠な欧州人」と評されている。

 共産主義の東ドイツで育ち、再婚で子どもはいないメルケル氏。政治家として一躍頭角を現し、政界のしきたりを平然と打ち破ってきたにもかかわらず、各国首脳と比べてみても在任期間がひときわ長い。

 権力をひけらかすことには無関心な様子で、華やかさとも無縁。首都ベルリン(Berlin)のマンションの一室に、めったに表に顔を出すことのない科学者の夫、ヨアヒム・ザウアー(Joachim Sauer)氏と共に暮らしている。

 買い物は近所のスーパーで済ませ、休暇が取れればアルプス(Alps)山脈へハイキングに行くという。淡々とした口調で演説することが多く、カメラの前では落ち着かない素振りを見せる。手のやり場に困って、両手の親指と人さし指で作るのが癖になったひし形が、党の選挙運動のトレードマークに採用されたほどだ。

 この「普通さ」こそ、メルケル氏が有権者から圧倒的な支持を得たゆえんに他ならない。有権者らは、「ムッティ(Mutti、ドイツ語でお母さんの
意)」の浮ついたところのない実用主義と手腕を高く評価し、歴代の男性首相らが誇っていたカリスマ性よりも、メルケル氏の平凡さの方を好んでいるのだ。

 とはいえメルケル首相は、ここぞという時には大胆な行動をとってきた。良く知られているところでは、2011年の福島原発事故を受けて脱原発を決断。また現在続いている難民危機では、戦争や迫害を逃れようとする人々に門戸を開いた。

■「小娘」から女性初の「首相」へ

 アンゲラは1954年、ドイツ北部のハンブルク(Hamburg)に生まれた。父親はルーテル(ルター派)教会の牧師で、一家はアンゲラの誕生から数週間後に共産主義の東ドイツにある小さな町へ引っ越した。当時は東から西を目指す人の方が多く、時代の流れに逆行する転居となった。

 メルケル首相の伝記を手掛けた作家らは、アンゲラが自身の本当の思いや意図をポーカーフェースの裏に隠すようになったのは、警察国家に暮らした経験からだと分析している。

 学業優秀だったアンゲラは、ロシア語も堪能だった。それはウクライナとロシアの緊張関係緩和のため、ウラジーミル・プーチン(Vladimir Putin)露大統領と協議した際にも役立った。ちなみにプーチン氏は、1989年にベルリンの壁(Berlin Wall)が崩壊した際、旧ソ連の国家保安委員会(KGB)の職員として東ドイツに赴任していた。 

 量子化学で博士号を取得したアンゲラは、ベルリンにある研究所に就職したが、間もなく当時結成されたばかりだった政党「民主主義の出発(DA)」に加わった。

 同党はその後、当時ヘルムート・コール(Helmut Kohl)元首相が率いていたキリスト教民主同盟(CDU)に合流。その頃のコール氏はアンゲラを、かわいがる気持ちと同時に自分よりは目下の者という意識から「あの小娘」と呼んでいた。

 しかしアンゲラを見くびり、後にその代償を支払わされる目に遭った政治家は少なくない。コール氏もそのうちの一人だ。1999年に選挙運動絡みの
献金スキャンダルが発覚すると、「老兵」を自任していたコール氏の首にアンゲラはナイフを突き付けた。党に対し、コール党首の解任を呼び掛けたのだ。

 この大胆不敵な動きで耳目を集めたアンゲラは2005年11月、同国史上最年少というだけでなく、女性として初めてドイツ首相に就任した。

■難民に門戸開き「メルケルママ」に

 ユーロ圏危機においては、疲弊しきった欧州諸国が頼りにしたのがドイツだった。メルケル首相は財政規律を説いて国庫の財布のひもをしっかりと締め、年金を心配するつましい市民らの不安を和らげた。

 急速な高齢化が進む中、経済大国の地位を維持し続けているドイツの国民は、メルケル首相を長く安定の礎とみなしてきた。有権者はそれに報いる形
で、3回の選挙でメルケル氏に勝利をもたらした。世論調査の結果を見ても、同氏は最も人気の高い政治家として久しく不動の位置を占めている。

 しかし、普段はその慎重さと入念さで知られるメルケル首相に今夏、あるあだ名が付けられた。亡命申請者らにドイツの門戸を開いたことから、「Mama Merkel(メルケルママ)」と呼ばれるようになったのだ。

 この方針は同首相の10年の任期中で最大の賭けとなり、政治的遺産の形成に関わる問題を引き受けた格好となった。

 債務問題に苦しむギリシャに対してかたくなな態度を貫いたことから、ナチス・ドイツ(Nazis)の制服を着た風刺画が出回ったメルケル氏だったが、その一方、難民問題では人々の人間性と、欧州連合(EU)の他の加盟国の連帯感に訴える嘆願をしてみせた。

 独ニュース週刊誌シュピーゲル(Der Spiegel)は同氏をマザー・テレサ(Mother Teresa)になぞらえ、尼僧の服をまとった「マザー・アンゲラ」のイラストを掲載した。

 移民流入をめぐる国内からの批判に対してメルケル氏は、「緊急事態に直面し、親切心を表すことに対して謝罪が求められるようになったら、それは私の国ではない」と切り捨てた。

 週刊紙ディー・ツァイト(Die Zeit)はメルケル氏のこの門戸開放策について、「任期中で最も度肝を抜く、最も思い切った」決断だったと言えるかもしれないと指摘している。(c)AFP/Frank ZELLER

 


http://www.afpbb.com/articles/-/3069787 より転載
 
 

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